2025/06/14
適正と過剰

埼玉県ふじみ野市の大井みどり動物病院です。
先日、当院に長年通っていたワンちゃんが、17歳で永眠されました。最期は老衰による多臓器不全であり、天寿を全うしたと考えています。
このワンちゃんは、これまでに2度の大きな手術を乗り越えています。
最初の手術は、異物の誤飲によって腸に穴が空き、腸液が腹腔内に漏れて敗血症を起こしていたため、腸の切除を行いました。長期入院となり、生死をさまよう状況でしたが、奇跡的に回復しました。
その後、中年期には椎間板ヘルニアを発症し、後ろ足が麻痺して歩行不能となりました。当院で手術を行った結果、再び歩けるようになりました。
もし腸の手術を行わなければ、命を落としていたでしょう。椎間板ヘルニアの手術も、しなければ歩行は困難となり、排尿障害のほか、介助や車いす生活を強いられていたかもしれません。
腸の手術は「延命」に、椎間板ヘルニアの手術は「生活の質の改善」につながったと言えます。つまり、このワンちゃんのケースは、医療が非常にうまく機能した好例です。
当院の治療方針では「延命効果」と「生活の質の向上」を重視しており、その両方が達成できた結果、この子は天寿を全うできたと感じています。
このケースでは、治療方針の決定に迷いはありませんでした。腸の手術を行わなければ死に至る可能性が高く、ヘルニアも命には直結しないものの、明らかに生活の質を大きく損なうため、手術が最善の選択でした。
もちろん、すべてのケースがこのように明確な判断ができるとは限りません。複雑な病状では治療方針に悩むこともありますが、このワンちゃんに関しては、結果的に最良の選択ができたと思っています。
一般的に、治療を選択する際には「延命につながるか」「生活の質が改善されるか」という2つの観点から判断するのが望ましいと考えています。
逆に、生活の質が向上しない医療については、積極的に行わない方がよい場合もあるでしょう。特に、明らかな症状が見られない場合は、医療介入を慎重に考えるべきです。
腸の手術のように緊急性のある疾患では、延命を検討する時間すらありません。緊急疾患こそ、医療が最も活きる場面であり、迅速な処置によって命が救われることも多くあります。このような場合は、迷わず手術を選ぶべきでしょう。
一方で、痛みを感じない後肢麻痺を伴う椎間板ヘルニアでは、排泄の不自由や生活の不便が生じます。ご家族の介助が必要になり、感染症のリスクも高まるため、手術による改善が望ましいです。
難しいのは、自覚症状がない段階で、どこまで医療介入を行うかという判断です。医療には必ず副作用が伴います。薬は、その効果と同時に副作用のリスクも持っています。たとえば抗生剤は、不要な菌だけでなく必要な常在菌にも影響を与えます。胃酸を抑える薬は、消化機能の低下を招くことがあります。
薬の添付文書を見れば、多くの副作用が列挙されており、個々の項目では効果が期待できても、全体として本当に患者にとって良いかどうかは判断が難しいのが現実です。
私は、症状がない場合には治療を行わない方がよいケースの方が多いと考えています。このようなときは、まず生活習慣の改善など非薬物的アプローチが優先されるべきです。
たとえば、人間の場合、症状がないまま健康診断でコレステロールが高く、スタチンを処方されることがありますが、数年飲み続けても延命効果はわずか(数日程度)である可能性もあり、副作用は無視できません。
このように、必要以上に診断や治療を行うことは過剰医療と呼ばれます。スタチンの使用は、過剰医療になりやす治療の一例かもしれません。簡単に言えば、「診断と治療のやりすぎ」です。
動物医療も進歩していますが、犬や猫には「治療」という概念がないことを考慮すると、人間以上に過剰医療には注意すべきかもしれません。
もちろん、無症状でも治療すべきケースがあることは事実です。しかし私は、そのようなケースはそれほど多くはないと感じています。常に、「その検査や治療は本当に必要か? 犬や猫のためになっているか?」を慎重に考える姿勢が大切です。
今回亡くなった17歳のワンちゃんは、獣医療を活かすことができた適正医療の好例だと考えています。当院での適切な治療が一助になり天寿をまっとうできたと、ご家族には直接お伝えしてはいませんが、私はそう確信しています。
参考文献など
健康な人や軽度の異常に対して行う検査・薬物治療・手術が、実際には患者に利益をもたらさず、逆に副作用や医療事故のリスクを高める(Rogers, 2014),(Buck, 2015)
「正常」の範囲が狭まり、軽度なリスク要因が「病気」としてラベル化されることで、本来不要な治療が行われる(Petrazzuoli et al., 2022)
医師が訴訟回避や経済的利益のために「過剰に検査・処方」する傾向がある。また、患者の「何かしてほしい」という要求も一因(Lyu et al., 2017)
高齢者では診断や治療が複雑化しやすく、ポリファーマシー(多剤併用)による副作用・生活の質の低下が問題視されている(Glauser, 2011)
不要な医療行為が年間数千億ドル規模の無駄を生み、他の医療資源を圧迫する(Ooi, 2020)
「スタチン治療により平均生存期間は一次予防で約3.2日、二次予防で約4.1日、全体で約12.6日延長する可能性があります。ただし、効果は小さく、患者の状態(余命や副作用の有無)によっては治療の継続を再考する必要があるかもしれません。」
Kristensen ML, Christensen PM, Hallas J. The effect of statins on average survival in randomised trials, an analysis of end point postponement. BMJ Open. 2015 Sep 24;5(9):e007118. doi: 10.1136/bmjopen-2014-007118. PMID: 26408281; PMCID: PMC4593138.
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