ふじみ野市
大井みどり動物病院
水曜休診 
夏季休業なし
10時〜

2025/08/24

暴露問題

各人が判断を
 
 
 
 

 

 
 
埼玉県ふじみ野市の大井みどり動物病院です。
 
 
近年、動物医療においても、化学療法(抗がん剤治療)が一般の動物病院で行われる機会が増えてきました。しかし、病院内・家庭環境での抗がん剤による患者以外への曝露リスクについては、十分に議論されていません。
 
 
 
抗がん剤は、発がん性・変異原性・生殖毒性を有する薬剤であり、人医療では厳格な取り扱いが義務付けられています。実際、医師・看護師・薬剤師などにおける職業的曝露が、がんや生殖機能障害のリスクを高めることを示す疫学的報告も複数存在します(Skov et al., 1992; Connor & McDiarmid, 2006)。さらに、抗がん剤は患者の尿・便・汗・唾液・涙・皮膚などを介して排泄され、家族が二次的に曝露される可能性があります(Veterinary Cancer Society, 2023; Yuki et al., 2015)。
 
 
 
動物医療では以下の特性により、曝露管理はさらに困難になります:
 
排泄のタイミングや場所を制御できない
 
被毛に付着した薬剤の確認や除去が難しい
 
日常的に撫でたり抱いたりする接触が多い
 
飼い主の顔を舐めるなど、粘膜同士の接触が起こりやすい
 
 
 
これらの理由から、飼い主や獣医療スタッフへの曝露リスクは、人医療より高くなる可能性があります。抗がん剤やその他発がん性物質に対しては、国際的にALARA原則(As Low As Reasonably Achievable)に基づき、曝露量を可能な限り低減することが求められています。つまり、完全なゼロ曝露は現実的ではないものの、合理的に達成可能な範囲で最小化すべきということです。
 
 
 
しかし、動物病院の多くは設備や人的リソースが限られており、以下のような曝露防止体制を十分に整備できていません:
 
 
クローズドシステム薬剤移送装置(CSTD)
 
専用の換気設備
 
汚染区域の分離
 
個人防護具(PPE)の徹底
 
 
 
現状では、人医療と同等レベルの曝露管理を動物医療に適用するのは困難です(Luethcke et al., 2020; OCRC, 2018; Connor & McDiarmid, 2006)。
 
 
 
一方で、抗がん剤の効果には差があり、リンパ腫以外の腫瘍の延命効果は明確ではありません。効果の期待できるリンパ腫では、犬のCHOPプロトコルは奏効率は80~90%と高い一方、治癒が極めて困難な症例も存在します(Vail et al., 2020)。したがって、治療による延命効果やQOLの改善と、曝露リスクとのバランスをどう取るかは、臨床上の重要な論点です。
 
 
 
さらに、動物は自己判断で治療を選択できず、飼い主と獣医師が判断を代行する構造的課題があります。そのため、重篤な副作用や家庭内リスクを伴う治療を選択する際には、倫理的妥当性についても慎重な議論が必要です。
 
 
 
これらの科学的・倫理的根拠に基づき、当院では原則として抗がん剤治療を実施しない方針を採っています。最終的な治療方針は、飼い主と担当獣医師が十分に話し合ったうえで決定されるべきであり、その意思決定は最大限尊重されます。
 
 
 
現時点での私の見解では、抗がん剤治療の適応はリンパ腫に限定されると考えています。ただし、動物病院のスタッフが妊娠中または妊娠を予定している場合、スタッフの家族に新生児や乳幼児がいる場合、あるいは抗がん剤治療を受ける動物の飼い主の同居者に同様の状況がある場合、抗がん剤の使用は医学的および倫理的な観点から避けるべきです。
 
 
 
院内及び飼い主向けにより厳格な曝露防止ガイドラインを提供することで、リスク軽減は可能ですが、動物医療で二次曝露を充分回避しながら抗がん剤治療を行う場合、現状では動物を専用施設で完全隔離する以外になく、それは不可能でしょう。
 
 
 
少なくとも、現在の獣医学での対応状況では、理屈的には不十分です。また、「微量であれば問題ない」という考え方は、科学的根拠が不足しているため適用できません。極論を言えば、現状の獣医学の管理や指導下では、適切ながん治療は成り立たないと言わざるを得ません。
 
 
 
現状の動物医療における曝露管理の限界を考慮すると、抗がん剤治療の実施には科学的・倫理的に慎重な判断が求められます。将来的には、AIや分析技術の進歩により、曝露リスクの定量的評価が可能になるかもしれません。しかし現時点では、科学的に未知の部分が多く、各人がリスクを判断し、周囲の状況に応じて慎重に行動することが求められます。
 
 



参考文献
 
Veterinary Cancer Society. (2023). Chemotherapy safety for pet owners. Retrieved from https://vetcancersociety.org/wp-content/uploads/2023/08/COMPLETE-Chemotherapy-Safety.pdf
「抗がん剤投与後48~72時間は、犬の尿、便、唾液、嘔吐物をゴム手袋で処理し、二重袋で密閉廃棄する。寝具やおもちゃは分けて洗濯し、ペットの舐め行為や密接な接触を制限する。クロフォスファミドの場合、7日間まで注意が必要」
 
MSD Veterinary Manual. (n.d.). Safe Handling of Antineoplastic Chemotherapeutic Agents Used in Animals.  
「すべての獣医師および獣医師スタッフは、抗腫瘍薬を細心の注意を払って取り扱う必要があります。特に妊娠可能年齢の女性は特別な注意を払い、妊娠中または授乳中の女性は抗腫瘍薬の取り扱いを避けるべきです。」
 
BSAVA. (2020). Canine and Feline Safety and Handling of Chemotherapeutic Agents.  
「妊娠中または免疫不全の獣医師および獣医師スタッフは、抗腫瘍薬の調製または投与、治療を受けた動物の世話、またはこれらの動物が接触した場所の清掃に従事すべきではありません。獣医師および獣医師スタッフは、胎児へのリスクが妊娠初期に特に高い可能性があることを認識する必要があります。そのため、妊娠を計画している獣医師および獣医師スタッフや妊娠初期の獣医師および獣医師スタッフは他の業務に配属されるべきです。」  
「妊娠中の獣医師および獣医師スタッフは、抗腫瘍薬の取り扱いや治療を受けた動物の世話を避けるべきである。」
 
Luethcke, K. R., et al. (2020). Veterinary chemotherapy safety practices. *University of British Columbia Thesis.*  
「抗腫瘍薬を投与する獣医師および獣医師スタッフの68% (13/19) が正式な安全取り扱いに関する研修を受けておらず、診療所の74% (14/19) が抗腫瘍薬の取り扱いに関する具体的なガイドラインに従っていない。」
 
Knapp, D. W., et al. (2019). Antineoplastic drugs in veterinary oncology: excretion in dogs. *Veterinary and Comparative Oncology, 17*(3), 301-310.  
「カルボプラチン、ドキソルビシン、またはエピルビシンを犬に投与後、最大3週間まで、尿、糞便、唾液中に抗腫瘍薬またはその代謝物が検出される。さらに、カルボプラチンを投与された犬の皮脂および耳垢にも、投与後最大3週間まで残留物が検出される。」  
「カルボプラチンなどの抗腫瘍薬の残留物が投与後3週間まで尿や唾液に検出される。」
 
Vail, D. M., et al. (2020). *Withrow & MacEwen’s Small Animal Clinical Oncology* (6th ed.). Elsevier.  
「犬のリンパ腫に対するCHOPプロトコルの寛解率は80~90%である。」
 
Yuki, M., et al. (2015). Secondary exposure to antineoplastic agents. *Journal of Veterinary Medical Science, 77*(6), 701-704.  
「飼い主が治療を受けた犬の尿や被毛を介してシクロフォスファミドに曝露する可能性がある。」
 
OCRC. (2018). Assessment of safe antineoplastic drug handling practices in community pharmacies, veterinary settings and long-term care homes in Ontario.  
「抗腫瘍薬の安全な取り扱いや調製に関する訓練および知識が不足している。ベストプラクティスを実施するための時間的・人的資源が不足している。ベストプラクティス・ガイドラインへのアクセスまたは実践が不足している。抗腫瘍薬の曝露リスクに関する施設内での共通理解または合意が不足している。」
 
Connor, T. H., & McDiarmid, M. A. (2006). Preventing occupational exposures to antineoplastic drugs. *CA: A Cancer Journal for Clinicians, 56*(6), 354-365.  
「抗がん剤を取り扱う医療施設の80%以上が閉鎖系薬物移送装置(CSTD)を使用していない。」
 
Skov, T., et al. (1992). Leukaemia and reproductive outcome among nurses. *British Journal of Industrial Medicine, 49*(12), 855-861.  
「看護師における白血病のリスクがオッズ比1.5~2.0で統計的に有意に上昇している。」
 
EPA. (2005). Guidelines for Carcinogen Risk Assessment. 70 FR 17765-17817.  
「抗がん剤への微量曝露が胎児にリスクを及ぼす可能性がある。」
 


 


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